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フラダンス
フラダンス


フラの歴史

ハワイの伝統であるフラダンスは、時を経て色々な変化を遂げました。一つの伝説によると、起源火の女神ペレが妹のラカに踊れと命じ、フラを踊ったという説です。もう一つの伝背には女神ペレをなだめるために、兄弟のヒイアカが踊ったとも言われています。ほとんどの踊りはヒイアカ叙事詩に記されていて、フラ学校と神殿はラカに奉納されています。20世紀の初め頃まではフラは儀式と祈りで成り立っており、先生と生徒は神殿で学び、適当な生贄も捧げられていました。

1820年頃からハワイにキリスト教が宣教師によって伝えられました。カアフマヌ女王はクリスチャンになり、ヘイアウ(神聖な神殿)と聖像を全て破壊し、ハワイの儀式は止められました。それと同時にフラの意味も無くなりつつありました。宣教師達はフラの踊りが誘惑的であるとして、踊りと生贄は禁止されました。人々は密かにフラの練習を続け、フラの美術が忘れられてしまわないよう努めました。この時から、フラは異国情緒のあるものとして評判が良くなり、船員と観光客向けのエンターテイメントへと変わってゆきました。

1830年にカラカウア王は宗教自由を宣言し、宣教師達はダンサーにビクトリア調の袖の長いガウンをパウ・スカートの変わりに着せる様説得しました。カラカウア王は1874年に君主に選挙され、祝賀会、祭りと音楽を楽しみ、また旅行好きとも知られた時から、「メリー・モナーク」(愉快な君主)と名頭けられました。彼の君臨の間にフラはハワイの国民のシンボルとなり、ワルツ、クラシカル音楽、そしてフラが国王祝賀で踊られました。カラカウア王はフラについて、「フラは心の言葉であるからハワイ国民にとって心の鼓動なのです。」と述べました。

フラについて

「フラ」という言葉自身が、動きとしぐさの事を意味します。またフラは「メレ」と言う詩が無くては踊れません。メレは歌われてる詩の事を指し、「オリー」はそのメレを歌う声の技術の事をさします。メレにはリズムに乗る歌い方と、乗らない歌い方の2つがあります。歌う内容は殆ど伝承の文化に従っており、「メレ・プレ」(神聖な祈り)と「メレ・イノア」(名前のチャント、族長の為に等)から「メレ・ホオイポイポ」(愛の歌)と「メレ・アイナ」(土地の褒め)と踊りを分類しています。比喩は詩で最も良く使われており又重要視されています。フラの動きとしぐさは、話全体を見せているのでは無く、重要な部分だけを見せます。年輩の方は立ちながらでも、座りながらでも演技が出来、演奏者は「オラパ」(踊る人)と「ホオパア」(メレを歌って楽器を弾く人)に分かれます。座りながらの踊りでは演奏者は音楽家でもあって、楽器を弾きながらジェスチャーもします。立ちながらの踊りでは、手の動きと腕のジェスチャーをしている間、足も常にモチーフを踊っています。カホロ、ウェヘ、アミ、カヴェルとその他いろいろとモチーフがあります。

フラの種類 - カヒコとアウアナ

フラダンスは普通二つのグループ、フラ・カヒコ(古代のフラ)とフラ・アウアナ(モダンのフラ)に分かれています。。フラ・カヒコは踊りと歌を用い、ハワイの歴史、慣習、儀式と伝統を教えます。フラ・アウアナは今日良く踊られており、現代風の音楽と踊りでハワイの島々での楽しさと喜びを見せています。

フラダンスの楽器

フラで一番良く使われる楽器は太鼓の「パフ」です。高さ約60センチから90センチ位あり、ココナツかパンノキの幹から作られています。パフの付属物はプニウと言い、ココナツのさやを半分に切り、その上にカラという魚の皮を伸ばして作る楽器です。他には、ウリウリ(羽で飾ってある、がらがらひょうたん)、プイリ(割れてあるがらがら竹)、イリイリ(カスタネットのような二つの小石)とカラアウ(棒)です。最近では、この様な伝統的は楽器はギターとウクレレに替えられています。

フラ・ハラウ

「ハラウ」とはフラを教える学校の事をさします。ハラウでは「クム」と名づけられている先生に教えられます。ハラウにはクム、オラパ(ダンサー)とホオパア(音楽家)がいます。厳しくて正式な儀礼があり、例えば学校に入る前、許可の歌を歌わないと入れない、等です。クムは部屋の中からその歌を聞き、入りたいという願いが声と歌に現れたら、許可の歌を歌います。しかし、その願いが心から無ければ、生徒に何度も態度を変えるまで、中には入れません。

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